第十三話「知・好・楽。そして、游(ゆう)」
さて!今回は、論語の中から「知・好・楽。そして、游(ゆう)」と題してお話させて頂きます。
論語をかじったことのある方なら、知・好・楽はご存知かもしれません。
しかし、同じところには書かれていないが、游(遊ぶ)をなぜ一緒に説明するのか?
ふっふっふっ。そこが味噌なのです。
一緒に紐解いていきましょう☆
知・好・楽(ち・こう・らく)とは?
雍也第六(ようやだいろく)の中の一文
子曰わく(しのたまわく)、
之(これ)を知る者は、之を好む者に如(し)かず。
之を好む者は、之を樂(たの)しむ者に如かず。
訳
孔先生はおっしゃった、
知る者は、好んでやる者には及ばない。
好んでやる者は、楽しんでやる者には及ばない。
仕事も、その仕事に就いた時は、その仕事の勉強など必死にするもの。
僕自身、以前の介護の仕事は無資格から入ったので、ヘルパーや介護福祉士の勉強をして、実際の現場と擦り合わせながら働いた。
これが、「知る」状態。
そして、やっているうちに、「好き」に変わると、急速にいろんなことが上達する。
好きこそ物の上手なれ。である。
そして、楽しい状態は、継続していく中でふと生まれる。楽しんでやっていると、お客様にも楽しさが伝わって、やりがいも更に生まれてくる。お客様の態度で返ってくる。
楽しいは、楽しいをよんできて更に楽しくなる。
なんて素晴らしい状態だろうか。
大抵の論語読みは、ここで説明が終わる。
しかし、働く者としてはもう一つ。
そう!ヒントは、論語の別の箇所にあった!
ふっふっふっ
別の箇所(述而第七(じゅつじだいしち))に
「藝に游ぶ(げいにあそぶ)」とある。
藝とは、芸のこと。
更に、芸とは、現代においては、仕事と置き換えていい。
つまり、仕事に遊ぶということ☆
真面目な人程、抵抗があるかもしれない。
しかし、よく考えて欲しい。子供が夢中になって遊んでいるとき、時間も忘れて熱中する。
同じように、先人達も、何かに夢中になって、徹夜を繰り返し、食べるものも食べずに‥開発。なんて聞くと、「苦労されていた」と見がちだが、本当にそうだろうか。
それほど、熱中して時間も忘れるくらい楽しかったんじゃないか。
それって、本人にとっては、苦ではないですよね。
そう、知るも好きも楽しむも、全てが極まった状態、それが「遊ぶ」なのでは?
と、思ったのです。
ブレーキも遊びがあるから、危なくない。
遊び心は、ユーモアを生み、いい作品が生まれたりする。
真面目なときは、あっても良いが、真面目さは時に、元気を奪う。
真面目なときこそ、遊んでみると良いかもしれない。
遊べるくらいの時は、元気ですよね?
そうしてるうちに、いつのまにか真剣になっていたりする。
仕事に限らず、ちょっと遊ぶのは、やはり潤いが出てくるもの。
さて、皆さんはいま、遊べていますか?
子供の様に、今日は遊んでみましょう☆
では、今日はこの辺で。
遊びても 遊び足りぬと日をまたぎ
世照らす時ぞ うれしたのし
今日も読んでくださり感謝します。ありがとう。
坂上太一拝
コメントをお書きください
sora (土曜日, 28 7月 2018 12:47)
太一さんは仕事も音楽も精一杯楽しんでるんですね!
私もそんなふうになれるかな
なりたいな
よし!楽しんでやってみる!
*\(^o^)/*
坂上太一 (土曜日, 28 7月 2018 14:04)
今は、音楽がお仕事になり、種まき中ですが、書きながら僕も顔晴ろうと思いました。
共に顔晴りましょー!