第十一話「當下一念(とうかいちねん)」
さて、今回は、以前にもちらっと登場しました、僕が大尊敬する「中江藤樹(なかえとうじゅ)」先生の語。
この語は、
楽しみもまた苦しみも外ならず
只一念の地ごく極らく
という、藤樹先生の和歌の題である。
言い替えれば、中村天風さんが言っていたように「人生はこころひとつの置きどころ」という事か。
地獄と極楽は見た目はとてもよく似ている。何が違うかというと、そこにいる人が違う。
よくある例え話だが、地獄も極楽も、食事のときに長い長い箸を使う。
大きな鍋を囲み、食事をするのだが、地獄にいる者は長い箸の先に食べ物を掴んだら自分の方に運ぶ。
しかし、長い長い箸なので自分の口に届かない。そうこうしてる間に箸からこぼれ落ち。
地獄の者は、遂に一口も食べられない。
一方、極楽の人々は、長い箸で食べ物を掴むと向かいにいる人へ「お先にどうぞ☆」
と、自分じゃなく他人へ食べ物を与える。
そして、貰ったひとも「ありがとう。あなたもどうぞ☆」と、お互いに食べ物を口に運び、心もお腹も満たされているのである。
幸せの語源とは‥
そう、こうして、お互いにお互いに、なしあわせる。「為し合わせ」が幸せの語源と聴く。
極楽の住人は、正に為し合わせの「一念」で暮らしているのである。
車を運転しているときも、「お先にどうぞ☆」くらいの余裕があると、その後の商談も上手くいくなんてこともよく聴く話である。
いま、ここの一念、考え方が人生を創るのだ。思った通りになるのが人生。なのかもしれない。
「思った通りに?ふんっ、ならねーよっ」なんて言っていても、思った通りにならないようになると、考えてる時点で、その人は思った通りになっていたりする。
楽しみもまた苦しみも外ならず
只一念の地ごく極らく
感情を押し殺したりなんかしなくていい。
悲しいときは悲しいでいいし、嬉しいときは嬉しいでいい。
いつだって、感動して命いっぱいに生きていく中で。
そうして、自分の一念も確かな優しさを表現出来るようになるのかもしれませんね。
では、今日はこの辺で☆
喜怒哀楽 感じ尽くして人は皆
素直ならなむ 道ぞ拓ける
今日も読んで頂き感謝します。ありがとう。
坂上太一拝
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