第八話「学習」
今回は、論語(ろんご)から。論語とは、20編512文からなる、2569年前の孔子(こうし)とお弟子さんとの会話です。孔子が、亡くなってからまとめられた書物。
孔子や曾子の「子」は、先生という意味なので、孔先生ということですね。
孔子は、春秋時代という、戦国時代を生きました。そんな中、教育者としてその生涯を貫きます。
論語は、孔子とお弟子さんの会話なので本当はとてもわかりやすいし、面白い。
やはり、自分の人生と擦り合わせながら読んでみるといいですよ☆
では、本日は、学而第一(がくじだいいち)の始めのところを書きます。
やはり、なんでもそうなのですが始めが肝心。
「毫」という字をご存知でしょうか。
わずかという意味がある。始めの違いは毛の先ほどの僅かな差であっても、終いには大きな差になっている。という意味。微差は、積み重ねると大差になる。
始めが肝心。
吾輩は猫である‥その一文で無ければあの小説は始まらないように☆
さて、本編いきますか!
子曰く、 (し、のたまわく)
「學びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)遠方より来たる有り、亦楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」
朋(とも)遠方より来たる有り、亦楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」
まずは、声に出して読んでみてください☆
響きとリズムがいい!なので、子供もよく覚えます。
子曰く、 (し、のたまわく)とは
子は先生という意味なので、先生がおっしゃった。ということ。
曰くを、いわくと言ってもいいが、先生が言った。というニュアンスになる。
丁寧なのは、のたまわく。どちらでも構いません。
ここからは、話題だったサッカーに例えてみましょうか。
「學びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
【超訳】
(サッカーの練習をして、始め出来なかったリフティングが出来る、昨日の自分より上達するのは、なんと喜ばしいことではないか。なあ!加藤くん!)
「朋(とも)遠方より来たる有り、亦楽しからずや。 」
【超訳】
(そうやって精一杯練習していたら、試合に出れて思いがけなく遠くの同士と出逢う。なんて楽しいんだろうな、加藤くん!)
「人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」
【超訳】
(なんだよ、サッカーなんて。と、心無い事を言う人がいても、誰から認められなくても、全然うらみに思わない。ただ、自分がやっていることに誇りを持って、道を歩む様な人は
立派な人物だよな。加藤くん!)
という具合に、とても、優しい言葉なんです。
サッカーを皆さんが取り組んでいることや、仕事に置き換えてみてくださいね。
これからも皆さんの、大好きな言葉が見つかったらいいな。
孔子も、ステキだけど、弟子たちがまたステキなんですよ。人間の悩みもまた、2500年前と変わってなかったり。気高い意識に、時空を超えて触れられたり。
そうそう!學びて時にこれを習う、これが学習の語源です。
では、これからもお楽しみに☆
學びたる 人の心の素直さよ
こうべを垂れる 稲穂の様に
読んでくださり感謝してます。ありがとう。
坂上太一拝
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