第七話「ありがとう」の語源は「有り難い(有り難し)」
ありがとうは、本当にいい言葉ですよね。
実は、出典はお釈迦さまだったのです。
『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』のなかの
「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬(たとえ)」というお話に書かれています。
「有ること」が「難(かた)い」
つまり、存在することが難しいという意味です。
「果てしなく広がる海の底、目が見えない亀がいる。
その盲目の亀は、百年に一度、海面に顔を出す。
広い海には一本の丸太が浮いている。
その丸太の真ん中には、小さな穴がある。
丸太は、風に吹かれるまま、波に揺られるまま、あちらこちらへと漂っている。
百年に一度浮かび上がる盲目の亀が、浮かび上がったとき、丸太の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
「人間が生まれることは、その亀が、丸太棒の穴に首を入れることがあるよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と教えられたのです。
そう、どんなに科学が進歩しても、我々は未だに大腸菌一個作れない。
そして、我々はいま、ここで確かに呼吸している。
なんとも有難いことではないか☆
さて、今日は折角なので、そんなお釈迦さまのステキなお話を☆
ガウタマ・シッダールタ(お釈迦さん)は、来る日も来る日も修行をし、悟ろう悟ろうとしていました。
ある時は、村一番の師匠と言われる人につき、それでも別の村に凄い仙人がいると聞けば飛んでいき、修行、修行、修行。
しかし、このままではいけない!
と、更に厳しい修行を求め、一人で断食の修行を始める。
すると、ガウタマ・シッダールタ(お釈迦さん)のことがたちまち噂になる。断食をし続ける凄い人がいる、と。
噂を聞きつけた何人かの弟子とともに来る日も来る日も断食、断食、断食。
しかし、ある日のこと、行き過ぎた修行のため、道端で倒れてしまう。
周りに食料や水が無かった為、側についていたお弟子さん達は、方々に散って食料を探しにいきます。
そこに通りかかったのがスジャータという女性。スジャータは、これは大変!と、自分のお乳を飲ませます。ガウタマ・シッダールタ(お釈迦さん)も夢中でお乳を飲む。
そこへ、帰ってきたのがお弟子さん達。
当時、修行する身の上のものは、女性に触れることは許されなかった。なのに、女性に触れるどころかお乳まで!
なんたることかー!と、口々に罵声を浴びせ、弟子達は去っていった。
その後も、スジャータの献身的な介抱あって、
ガウタマ・シッダールタ(お釈迦さん)は回復。
そこで、思ったのは、難行苦行、これは無駄だった。自分のいのちさえ落としそうになる修行が本当の修行だろうか、と。
しかも、救ってくれたのは、女性ですよ。
女性は凄い!女性はね‥凄いんですよ。
で、ガウタマ・シッダールタ(お釈迦さん)は、じゃあインドに昔から伝わる坐禅を木陰で組んでみよう。と、坐禅を組む。
インドは暑いんですよ。だから、木陰は最高の避暑地。そこに坐ると、なんとも気持ちがいい。時折吹く風とともに、静かに坐る。
すると、お釈迦さまは悟る訳です。
その時、何を見つめていたかというと「呼吸」でした。
母の母、そのまた母、ずっとずっと昔の根元の母から、途切れることが無かったもの。
それが「呼吸」だったのです。
生まれてこの方、一度も途切れて無いですよね?
それを静かに見つめていたんですよ。
いやあ、お釈迦さん、ステキな方でしょ?
スジャータも素晴らしい。やっぱりね、女性は凄いんですよ。
源氏物語書いたのも女性!伊勢神宮の神様も女性!女性から産まれたわたしたち!いやあ凄い!
と、今後もお釈迦さんのお話は出てくると思うので、やっぱりどんな人かわかると話も面白いと思ったので、長くなりましたが書かせて頂きました!
息を吐いて息を吸って
それだけで愛されてるんだろう
何も恐いものなんて無いんだろう
届けよ光の歌
「光の歌」より
母の母 そのまた母に願われて
呼吸をすれば そこが故郷(ふるさと)
読んでくださり感謝してます。ありがとう。
坂上太一拝
コメントをお書きください
cherry (水曜日, 18 7月 2018 21:47)
またいいお話ですね。
女性を敬うお気持ちすばらしい!
なんか嬉しいです(^-^)
そしてこれからは大事に呼吸しようと思います☆
坂上太一 (水曜日, 18 7月 2018 21:55)
ありがとうございます!女性は凄いんですよ。本当に。
前の職場は、女性に囲まれて仕事させて貰う何とも幸せな環境でしたが、やはり、女性のパワーは偉大でした☆